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2017年02月27日

せんだい3.11メモリアル交流館

約11年ぶりに仙台へ行って来ました。

東日本大震災が発生してから初めてになるので、
今回の旅で、震災について見聞きしようと考えました。
まず思いついたのが、南三陸町防災対策庁舎に代表される震災遺構を見に行く事。
しかし、それらはかつて、住民にとって生活に結びついた施設。
自分の様な部外者がわざわざ見に行くのは、失礼にあたらないだろうか?
という疑問が引っ掛かったのに加え、時間と距離を要するので断念しました。

ネットで色々調べる内に「せんだい3.11メモリアル交流館」の存在を知りました。
昨年2月に開館したばかりとの事です。
場所は仙台市内、地下鉄東西線の荒井駅と直結で行きやすそう。
そして今日、見に行って来ました。
せんだい3.11メモリアル交流館

1Fの壁面には、仙台市東部沿岸メモリアル立体地図が展示されていました。
せんだい3.11メモリアル交流館
仙台平野周辺の地形を約1/5800縮尺で立体的に表現していて、
津波浸水域は薄い白色で塗られていました。
備え付けられている物差しで、距離や徒歩・自転車による移動時間を測ることができました。
せんだい3.11メモリアル交流館
海岸に居たとして、津波浸水域から逃れるためには
直線距離で徒歩50~60分、自転車でも20分以上かかったのか…

そして地図にはピンが何箇所か刺されていました。
カウンターで借りた専用タブレット裏側のセンサーでピンに触れると、
その場所の写真や説明文ガイドを見ることができました。
せんだい3.11メモリアル交流館
被災した荒浜小学校の校舎は、360度パノラマ写真(Googleストリートビューみたいな感じ)や
ドローンで撮影された動画も見ることができました。

アナログ・デジタル両方のアプローチで、仙台にほとんど土地勘がない自分でも
距離感や位置関係、東部沿岸地域の現在の様子を知る事ができました。

2F展示室の入り口には仙台沿岸イラストマップ。
せんだい3.11メモリアル交流館
室内の壁面には、数々の写真パネルが展示されていました。
以前はどのような場所だったのか。震災で受けた被害、そして復興。

パネルを眺めていると、ガイドの方が他の人に解説していました。
自分も横から聞いている内に、色々なお話を伺いました。
ガイドのご婦人自身、訪れた人から聞いたという体験談。
以下、備忘録を兼ねて順不同で列記していきます。

・(震災翌日、ロープ(実際は消防車のホース)に掴まり歩く荒浜地区住民の写真を見て)
 この写真はモノクロに見えるが、震災翌日でヘドロを被っているので実際はカラー

・避難所となった七郷中学校までは普通だと徒歩60分くらいだったが、夕方までかけて歩いた

・長靴ではなく普段履きのスニーカーやサンダルだったので足元はドロドロで濡れたまま

・震災が発生した日の夜は雪が降って寒く、津波の第2波第3波が来るんじゃないかと伏せた

・ガイドさんは当日、勤務先の老人ホームに居た。屋上から自分の家が流されたどうか、など
 見ることは出来た筈だったのだが、当時はそこまで頭が回らなかった
 後日、大丈夫か?と各所から連絡が入ったが、それどころではなく頭が回らなかった

・避難所となった小学校体育館は間仕切りもなく、着替えが出来なかった(トイレは汚れていた)
 照明が落ちて、暗くなってから皆着替えていたので、コソコソと音が聞こえていた

・ほんのちょっとした事が生死を分けた
 普段この辺の住民は、街中へ行くのに鍵をかけない位ノンビリしていたが
 せっかく荒浜小学校に避難してきたのに、その日に限って鍵をかけに家に戻り津波に巻き込まれた

・隣のご夫婦が、津波が来るよと教えに来てくれた直後に津波
 玄関の外に居たお隣さん夫妻、中の一歩前に居たご主人は亡くなったが、
 下駄箱を背にしていた奥さんはしがみつき、水に浮いた下駄箱に流されて一命を取り留めた

・車に乗っていて、サーフィンの様に仙台東部道路まで数キロ、津波に流されて
 道路にぶち当たった所で、運良くフロントガラスが割れてそこから脱出した
 隣に停まっていた車はあっという間に流され、数ヶ月後に車内から遺体で発見された

・ガイドさんがヘリコプターで救助された時、仙台東部道路を境目にして景色が一変していたのを見た

・津波は貞山掘で勢いが弱まり、仙台東部道路が有ったお陰で、奥まで浸水せずに済んだ
 (東部道路下にトンネルが有った所からは水が入り、更に浸水域が広がった)

などなど。

展示室内には、「記憶の街ワークショップin荒浜」模型が展示されていました。
せんだい3.11メモリアル交流館
「失われた街」模型復元プロジェクトとして、荒浜地区の航空写真を元に
神戸大学の学生たちが作成。それを避難所などへ持って行き、住民たちの記憶を
書き留めて作られたそうです。

せんだい3.11メモリアル交流館
透明のプレートには○○さん宅、○○酒店、海岸で遊んだ想い出などが書かれていました。

荒浜小学校の校舎は海岸線に対して直角に向けて作られていて、
震災の数年前には耐震工事を終えていたので、津波にも耐えられたとの事です。
せんだい3.11メモリアル交流館
西方向を上向きに撮っているので、海岸線は上から下

海岸には高さ7mの防潮壁が完成して、現在はかさ上げ道路を建設中。
そして仙台東部道路の3段階で津波を防ぐ様にするそうです。

企画展 街からの伝言板-紡がれた言葉たち-
せんだい3.11メモリアル交流館
実際に被災された方々から聞き取った体験談をカルタにして展示されていました。
せんだい3.11メモリアル交流館
せんだい3.11メモリアル交流館


部屋の中央には荒浜小学校の生徒たちが作ったカルタ。
文章は生徒自身が考えて、去年3月に閉校した時に配られたそうです。
せんだい3.11メモリアル交流館
せんだい3.11メモリアル交流館

3Fは屋上庭園です。
せんだい3.11メモリアル交流館
せんだい3.11メモリアル交流館


東日本大震災発生から、もうすぐ6年が経ちます。
2011年3月11日 午後2時46分。
その日を忘れる事はありませんが、遠く離れた大阪に住んでいると
率直に申し上げると過去の事という意識がありました。
今日、せんだい3.11メモリアル交流館を訪れて、
報道などでは知り得ない、生活者目線からの震災がどのようなものであったのか。
僅かな時間ですが、見聞きする事ができました。

発生直後に比べて、緊急を要する救援活動が求められる機会は減っているかも知れません。
これからは、震災について時間・空間を越えて語り継ぐ事が大切になるでしょう。
震災からどんな教訓を学び、どの様に将来へ繋げて行くか。
少しずつでも良いので、考えるきっかけにしたいと思います。
せんだい3.11メモリアル交流館


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Posted by ドミノス at 00:18│Comments(0)ドミs_on_Tour2017
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